方法論

 ライフワークを研究するにあたって、単に古典を読む、では余りに漠然としていて的を得ていないように感じられるでしょう。私は長年20代から瞑想の習慣があります。坐禅に興味があって少しづつ関連する本を読んでいましたが、具体的には、20代に桐山靖雄師の阿含宗の瞑想➡30~40代に谷口雅春師の生長の家の瞑想である神想観➡50~60代にミャンマー発祥のビッパサナー瞑想➡現在70代はアナパナ瞑想を基本とした、自分なりの瞑想を毎朝4時から45分間行っています。紆余曲折しながらも長く続いているので、死ぬまで続けられるであろうとそれなり自信ができています。また、大学での研究で瞑想の研究をしたので、概要はわかっているつもりです。人間はみんな中に素晴らしいものを持っているが、肉体の混沌のためにそれが現れにくい。そこで何か一事に集中すると、脳が静寂し、人間本来のピュアな心が立ち上がってくる。

 50代の頃、大阪で10日間のビパッサナー瞑想の会に参加したことがあります。そこで思わぬ体験をしました。私は、霊感体質ではないので、目に見えないものを見たりする体験はありませんでした。10日間の瞑想実修が終わって、既に亡くなっておられた宗祖のCDに録音された音声を聞いた時です。英語での音声でしたが、私の顔面に火花がバチバチ当たるのを感じました。30分ぐらい最後まで続きました。本当に音と火花が顔面に物体として当たる感じです。

 10日間の瞑想と籠る簡素な生活によって、とてもピュアな心境になったのでしょう。その時、人はレシーバーだと感じました。瞑想によって、ピュアになればなるほど、好感度のレシーバーになれると思います。

 故に、手前勝手に聞こえるかもしれませんが、方法論として、瞑想を実践しながら、その世界を感じられるレシーバーの能力を有して古典を読み、先賢が深く踏み込んだ未知の領域に立ち入ることを方法論とします。そのためには、少し世間と距離を置くことが必要でしょう。