研究論文3博士コース2

 (抜粋)             博士論文演習Ⅱ 初期経典における死の研究
1.はじめに
 IPS細胞が日本の山中伸弥博士によって初めて作成され、その偉大なる功績に対してノーベル医学・生理学賞が授与されました。これを端緒として、生命の神秘を説き明かそうとする動きに拍車がかかっています。生と死は表裏一体のものであると、言い慣わされてきましたが、このままいくと医学の進歩によって、死というものが解明されるのでしょうか。人間の精神活動が、肉体によってのみ生み出されるものであるなら、解明されるのを医学の進歩に期待するのは妥当かもしれません。
しかし、卑近な例ではありますが、子供や孫を見ていると同じ環境で育っているのに、異なる個性が育つ不思議を目の当たりにします。それを見ていると前世からの継承を考えたくなります。また、死んだ後にアナザーワールドがあるのかどうか。我々誰もがいずれ直面するであろう死は、人生最後で最大のビッグイベントです。佛教大学の通信課程に入学して以来、10年をかけて研究に邁進してきて現在に至っています。私の日ごろからの関心事は、瞑想です。またそれなりの実践もしています。
死のテーマは、自分自身が死に対して明確な解決法をもたない不安を解決したいと選びました。仏教関連の本を読めば、瞑想は死を解決する手段として昔から用いられていたように思います。
心のおもむくままに瞑想と死の研究を志して、学士論文から修士論文、そしてこの博士論文まで到達しました。知識が確信になり、実践につながるというのが理想です。
初期経典の死の研究を通じて、死の深淵に触れ、仏教の修行法である、瞑想によってさらに深く到達できれば、人生最後で最大のビッグイベントが来ることを楽しみで迎えることができるのではないかと期待します。さらに人に伝えられるレベルの知識を得られれば、これに優る喜びはありません。通信課程というほとんど独学に近い研究環境の中で、唯一開いた窓は、教授との面接です。豊富な知識をもっている教授にとって、見るに、聞くに堪えないレベルの学習者を面接するのは、苦痛であろうと推察します。しかし、私にとっては、これによって多くのヒントを得て、毎回、霧中の中から道が現れる経験をしてきました。これなくしては、ここに至ることは出来なかったでしょう。教授の博識と適切なガイドに感謝しつつ、もう少し先まで進むことにいたしましょう。